ちょっと長いけど僕のお話。その1

【僕が字を書いてる原点】

僕は高校生の頃、洋画の題字が書きたくて「グラフィックデザイン」の学校に入学しました。ところが授業ではレタリングや線引き後はレイアウト、作品作りなどなど毎日の課題に追われてすっかり初心の題字を書きたいと言う思いがどこかに飛んで言ってしまい、気がついたら卒業、そして小さなデザイン事務所に就職、何と給料は確か7万円だったかな??交通費込みですよ・・・

3年ほどデザイナーアシスタントとして勉強、しかし「カナダ君、デザイナーに向いてないんじゃあない」のひと言で、あえなく挫折、そして広告の仕事をとってくる営業に転身!!何と六年間も営業マンしました。

29歳の時に離婚という人生の挫折をしてね、くそう!!負けるもんかと「コピーライターの養成講座に入学」一等賞で卒業したると自分にげきを飛ばし、何とほんまに一等賞で卒業、すぐさま営業マンを辞めて、デザイン事務所でコピーライターとして仕事を始めました。

この頃すでにデザインを始めた頃の映画の題字を書きたいという志は完全に忘れていてね・・・そして33歳の頃、何を勘違いしたか自分のデザイン会社を設立してね、丁度バブルの頃で仕事は順調にすすみ、主に会社案内や入社案内を仕事の柱にして頑張っていました。
ところがあのバブル崩壊!!これを機に仕事が減りはじめ悪戦苦闘の会社経営が続きます。

そしてたぶん42歳の頃ストレスによる「うつ病に」ここから薬をのみながらのふらふらの毎日が始まりました。そしてついには引きこもりがはじまり、何故か自分の部屋に閉じこもり筆を持ち字を書き始めたんです。自分の心にたまったストレスを言葉にして書き、自分で自分を浄化する、癒すというリハビリが始まりました。

これは今にして思えば言えることで、当時は何も分からずただただ筆を持ち字を書き続けていました。かみさんや子供たちに多大な迷惑をかけました。
その頃、かみさんの勧めでメールマガジン「うつ病と共に」というメルマガを毎日書き続けていました。その反響に驚きながら固まった心をほぐしていた感じがしますね。

今回はここまでで・・・また続き書きますね つとむ

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